私の旅行観                                                    トップページへ戻る

「枕木草紙1」
 電車は夜。
 深更なればなほ。

 車窓から、住宅の2階にて受験生の勉強したるが、灯りと共に見えるも、わがいにしえを思ひ出していとおかし。
 無人駅の表示板に夏の夜など、虫の多く飛び違ひたるもおかし。
 夜の田に、寂しく自販機が置かれたりて、そこから洩れたる灯りが農道を照らしたるもおかし。
 終着駅に近づきたるゆえに、街の明かりが増え、ネオンなども見え始めたるは、喧しくていとわろし。

                                                                 (H18.4.7)

「一人旅、二人旅」
 あまり胸を張って言えることではありませんが、旅行の形態を人数で振り分けるとしたら、一人旅が一番気楽で好きでした。
 長い汽車の道中を伴う時などは、長編小説を鞄に詰め込み、夜行列車で眠れぬ時などは、何時間も夜が白むまで読み続けたものです。
 今、私が住んでいる松山市では、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を大きく町づくりの題材として活用しようとしており、俄然脚光を浴びて
いますが、私はこの小説を大学一年生の一人旅の際に、先述の急行「きたぐに」で読み始めました。旅先の本屋で続刊を購入し続け、
道南旅行が終わるときには、丁度全8巻を読み終えることが出来ました。
 旅行期間中の時間を独り占めしたいときには、一人旅がお勧めです。ただし、回りの乗客等、世間からは好奇の目で見られることは覚悟
する必要があります。下手をすると自殺志願者と間違えられることさえあります。(このエピソードについては、後日また別の機会に触れさせて
もらいます。)
 私の場合、青年時代に一人旅をしていると、大概、現地の世話好きのお年寄りに捕まり、家に上げてもらったり、お菓子をいただいたりした
ものですが、正直それが逆に苦痛と感じる時もありました。 特に、心の傷を癒す目的であった旅であった時など・・・・

 大学時代、先輩や同僚との二人旅も数多く経験しました。
 佐渡島、信州、道東など。
 私のわがままな性格に拠る所が大きいのかも知れませんが、2人旅で、特に長期間の旅になると、1日目、2日目においてはわきあいあいと
楽しい旅行をしていても、日を重ねるにつれ、連れの一挙一動が妙に気になり始めて、行程案にずれが出たりすると感情のわだかまりが残ったり
するようになってきました。
 幸いに、私の連れとなったのは、みんな心の広い大人でした。私の感情的な態度にそ知らぬ振りをしてくれたため、結局道中でけんか別れという
ような事態には陥らずに済みました。
 
二人旅を計画している皆さん。余程気のあっている仲間との旅行であっても、道中で自分だけの時間がある行程を入れたほうが、良い旅の思い出
を作れると思います。(大きなお世話か?)

                                                    (H17.11.26) 
 
 

 

「鉄」ではないけれど・・・
 
学生時代以降、多くの鉄道に乗って来ました。
 個人的には、寝台では無い夜行列車が好きでした。 というよりも、今は無き「ワイド周遊券」(もちろん学割)を活用した貧乏旅行をするうえで、目的地まで移動するための必須アイテムだったのです。
 なかでも思い出深い電車と言えば・・・
急行きたぐに」(大阪〜青森
  学生時代の春休みに帰省していた私は、発作のごとく、今まで足を踏み入れたことの無い北海道に行きたくなりました。
  当時の「道南ワイド周遊券」というのを利用しましたが、学割プラス冬季割引で非常に安く上がったことを覚えています。。
  大阪駅発22:00 青森駅20:00の長旅であったが、京都から乗り合わせた学生2人(ユースホステル同好会)と仲良くなれ、色々と青い談義をしているう ちに、時間 が経過してくれたため、退屈はしませんでした。。
  彼らとは、アドレス交換(メモ帳に住所と名前を走り書きしただけのもの)をしたが、以降一度も連絡しあったことは無い。当時のユースホステルに宿泊する若者達には、アドレス交換が社交辞令として、暗黙のルールであったのかも知れません。
  青森駅到着後、彼らと共に途中下車し、駅前の市場でりんごを買い、白い息をはきながらかじりました。
「急行とわだ」(上野〜青森) 
  当時上野〜青森間の夜行急行には、常磐線経由と東北本線経由の2種類あり、それのどちらです。
  「鉄」の先輩と二人して、大学2年生の秋に、「北海道ワイド周遊券」(学割プラス季節割引を適用)で道央、道東、道北旅行をした際の移動手段です。
  この旅の際には、他にも北海道上陸後、「札幌〜釧路」、「札幌〜稚内」間を初めとして、夜行特急をフルに活用しました。
  他の場所でも書きましたが、今年の夏の北海道家族旅行において、当時の旅行とオーバーラップする箇所がいくつかありました。
  この先輩は、理系出身で大学卒業、大森にある日立系の大手コンピュータ会社に就職したが、以降音信不通。
  正義感が強く、マナー、モラルに厳しい人でした。 彼との出会いがあればこそ、「鉄」の方々に対する偏見が無くなったに違いありません
「急行わしゅう」(宇野〜新大阪」
  大学時代に、帰省後再び上京する際に利用していました。
  国鉄松山駅を午後6時くらいに出発し、高松〜宇野を連絡船で渡り、午後11時くらいに宇野を出発する電車です。
  もちろんもう少し早い時間に松山駅を出発し、宇野駅から「寝台特急せと」(もちろんサンライズとは別物です。)に乗って、朝7時に心地良い目覚めとともに、東京駅のホームに滑り込む という選択肢もありましたがが、親のスネをかじっていた貧乏学生の私には高嶺の花でした。
  この「わしゅう」は、朝5時過ぎに新大阪駅に到着しますので、AM6:00始発の東海道新幹線に楽々と乗ることが出来るのです。
  AM9:00過ぎに東京駅到着後、その足で、新宿区にある大学キャンパスに向かい、大学の2時間目の授業を受講したこともありました。

 夜行列車に私がこだわってきたことには、経済的な理由以外にも原因があったように思います。   
 それは、「夜景」であったのでは無いかと、最近感じるようになりました。。
 私は、ある意味で風景フェチなのかも知れません。
 夜の車窓からの風景で、一番好きな風景といえば
   ○田園地帯にポツリと一つだけ建っている自動販売機から灯りがこぼれている景色なのです。
 これについては、後日敷衍させていただく機会があろうかと思います。             
  (H17.10.29) 
                                                                   

迷子のすすめ 
 例えば、一人での出張が終わり、出発の電車までまだ時間が有るようなとき、皆さんはどのように時間を過ごしますか。
 旅先が都会であるならば、映画を見るという手段もあるでしょう。ギャンブル好きな人ならば、駅前のパチンコ屋に飛び込む
という選択肢もあるでしょう。
 でも、私は、こんなとき、あてもなく、時間が許される限り町をさまよい、迷子になってみることにしています。
 最初は駅前の商店街、ビジネス街の大きなビルが立ち並んでいますが、橋を超え、道路の高架を超えたりしていくと
やがて、庶民の暮らしが息づいている町並みに突入していきます。
 地元の人達にとってはあたりまえのことでも、自分にとってはそうでないことがあります。
 例えば、
  ○屋根瓦の色、形、
  ○剪定されている庭木の刈り込みの形
  ○神社のしめ縄の形、お札、絵馬のスタイル
  ○電柱に貼り付けられた鉄板の宣伝のスタイル、
  ○魚屋の店頭に並ぶ地元の見知らぬ魚介類、そしてその陳列方法
等々、数えればキリがありません。
  地元の人達自身も意識しているわけではないのに、そういう風土性が自然に滲み出している現象に出会うことが出来ます。
  そして、そういう現象は、俗塵にまみれた観光地よりも、平凡な住宅街の中で出会えることの方が多いのです。
 そういう異文化性に触れたとき、私はひとしおの旅情を感じます。              
(H17.10.1)


便利さと旅の面白さは反比例する?

 
多くを語らずとも、皆さん既に気付かれているかも知れませんが・・・
 インフラが整備され、目的地への到着時間が短くなればなるほど、旅は面白くなくなると思います。
 私の住んでいる四国では、今から17年前に瀬戸大橋により本州と接続され、「島」ではなくなりました。
 これに伴い、陸上運送、鉄道運送ともに非常に便利になり、産業は発展しました。
 この「橋」についても、最初はもの珍しさから、東京への出張をわざわざJR便経由にして、車窓の足元に
多島美の瀬戸内海が広がる風景に感動していたものですが、やがて飽きてしまいました。
 「予讃本線の電化」、「松山空港〜各地方空港の直行便の開設」、「東京、大阪との直行夜行バスの
就行」、「しまなみ海道の開通」という具合に、わが郷土の進展を見ていくにつけ、愛媛県民としてはある
まじき考えなのかもしれませんが、タイトルのとおり
「便利さと旅の面白さは反比例する」ということを確信するようになりました。
一つの検証エピソードとして、学生時代の帰省風景を点描してみましょう。

 大学生時代、帰省するときには「国鉄」を利用していました。
 夕方6時頃の新幹線に乗り、東京駅を出発すると
 夜10時頃に岡山駅に到着します。
 そこで宇野線に乗り換えると、40分程で宇野駅
 夜11時頃に宇高連絡線に乗り込みます。
 こんな深夜でも、たとえ正月明けの真冬でも、甲板の立ち食いうどんやは開いており、客は寒風ふき
さらす甲板で、行きかう船の赤や緑の照明をながめつつ、黙々とうどんをすすっていたものでした。
 宇高連絡線の所要時間は、丁度1時間。
 夜の12時過ぎに高松港に入港しています。
 乗客達は、汽車で座席を確保するために、船が到着すると血相を変え、鉄道のホームに走ります。
 国鉄高松駅のホームでは、宇和島行きの予讃本線「急行いよ」と高知行きの土讃本線の急行(名称
は知りません)2本が並んで待機しており、出発前の暖気運転のためか、白くて魚くさいディーゼルの煙
をモクモクとあげていました。
 夜中の一時前に、知らない者どおしがボックスシートの4人掛けにギュウギュウ詰めに座って、汽車の
出発を待っているいる姿なんて、今ではなかなか想像出来ないでしょう。
 お年寄りから話しかけられ、お互い他愛も無い世間話をして、無聊を慰めたりしたものでした。
 今でも覚えています。今治駅で20分、対抗列車の待ち合わせをした後、国鉄松山駅到着は
午前3時45分! この時間帯に、昔の同級生と出会って、少しく思い出話をしたりします。
 自宅に到着すると、とりあえず家族に準備してもらっていた夜具に飛び込んでいました・・・。

 以上の如く、年末の帰省一つとっても、羽田〜松山を飛行機で直に帰ってくることに比べていかに
難渋を強いられていたかお分かりであろうと思います。
 ただし、旅の重要な要素であり、テレビで観光地の案内をするときに、番組のサブタイトルに定番の、
「旅情」「人情」「グルメ」 の要素はどちらの方が満たしているかは明白でしょう。

 結論。時間さえ許されるならば、色々と制約が多い不便な旅行の方が、あなたに数多くの思い出を
残してくれることでしょう。          
                            (H17.9.11)

旅の直取引について
 
インターネットの普及により、旅の直取引が随分と簡単になりました。
 飛行機や電車の切符は元より、レンタカーや宿泊施設の取引まで各会社のホームページを通じて、直接予約・購入がいとも簡単に出来る様になりました。
 私も最初のうちは、良く利用していました。言い方は適当で無いかも知れませんが、旅行代理店のピンハネ分が無いだけ、所要経費を抑えることが出来るメリットがあり、インターネット予約特典としてのプレゼント等も期待出来ます。
 しかし、最近はやはり旅行代理店に頼むことが多くなりました。
 なぜならば、やはり旅行代理店は、旅行取引主任者を抱えるプロの集団だからです。
 自作の旅行行程表を持ち込んで、細かい要望を提示しておくと(ただし、私の場合、代理店さんにもじっくり検討してもらいたいので、書類を預けて、後日連絡を受けてから再訪問するというスタイルを取らせてもらっています。)、実にキメの細かいプランを作ってくれています。
 もっとも、このキメの細かさは、旅から帰ってきて初めて気が付くというものでは有りますが・・・・・・
 各種割引切符の購入、自分の要望に叶った宿泊施設の選択等、長年蓄積された旅行ビジネスへのノウハウというものは、とてもにわか仕込みの旅行知識などではとても太刀打ち出来ないことを痛感させられます。
 旅とは、生きていくためにどうしても必要なものではありません。それ自体が大いなる無駄使いです。直取引により、多少の仲介料を節約したばかりに不愉快な思い出の残る旅行になってしまうよりも、旅行代理店さんに身を委ねた方が、賢明な選択であると、私は考えます。       

                                                  
(H17.9.6)


鉄ちゃんについて

 
私、家族持ちとなりまして、色々と制約は増えましたが、鉄道旅行は今も大好きです。
 大学時代などは、鉄道ファンである先輩達と、東京を基点として、四方八方鉄道の旅に出たものです。
 また、ある程度経験を積んでくると、一人旅もたまにすることもありました。
 しかし、私は「鉄」では無いと断言出来るのです。
 それは、自分の記憶容量のキャパによるものなのでしょうが、彼ら鉄ちゃん達と違い、電車の車両番号や 時刻表に対しては、一向に興味を持つことは出来なかったからです。
 例えば、彼らは、夏の信州への合宿旅行の折など、車両がが非電化区間の路線に差掛かろうものならば、 正面に大きな目玉のようなライトが付いた、緑色とレンガ色で塗り分けられた車両が駅に止まっているのを即座に発見し、あれは「○○系で・・・」嬉々として
私に説明 してくれていたのですが、私はそういう類の話に食いつくことは出来ませんでした。
 また、彼らは事前に時刻表をツブサに読破したうえで、
   ○数分後に行き違う列車の車両名を予言してくれたり、昨日〜明日に至る配車計画まで予想してくれて、私に説明してくれましたが、やはり私にとっては彼岸の話のような気がしたものです。
 自分は「鉄」にはなれませんでしたが、「鉄」が嫌いというわけではありません。
 彼らもいわば、現在の「ヲタク」の部類に含まれるのでしょうが、他の「ヲタク」達と明らかに違うのは、旅先で出会う彼達はものすごく礼儀正しく、真摯であるという点です。
                                                        (H17.9.3)

   
 
 

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